こうやって書くと、何か記しておかなければならない特別な日のように思えてくる。だがなんの記念日でもない。ただ普通の休日。

さて、京都に働きに出てからというもの2週間に一度の図書館通いを続けている。今週は興味の赴くまま五冊の本を借りた。その中で面白かったのは『驚異の古代オリンピック』。

最近、YouTubeで 北京五輪4継 塚原ー末續ー高平ー朝原 (銅メダル)敬称略 ロンドン五輪4継 山県ー江里口ー高平ー飯塚 (5位)を見て、再び興奮した訳だけど、

その時のアナウンサーが、古代オリンピック(紀元前)では短距離走のことを「スタディオン走」と呼んでいまして…

という話をして、何だかその表現がとてもぴったりと合っていたのが印象に残った。4継とは4×400mリレーのことで、トラック競技の中では日本がメダルを狙える種目である。選手の洗練された美しい走りと、バトンを繋ぐ時の一致感、みんなの分も背負ってというような迫力のある走りが、まさにスタディオン走だな、と思ったものだ。

今まで知らなかった、その美しい言葉を聞いてもっと他にないだろうか、という好奇心があった。その『驚異の古代オリンピック』の中には、他にも色々な言葉が溢れていたけれど、面白いのがひとつあって…

「プラトン」といえば古代ギリシャの哲学者として知られている。もう少し詳しく書くとソクラテスの弟子であり、なおかつアリストテレスの師匠でもある。なんとその「プラトン」は「肩幅が広い」という意味で、本名は「アリストクレス」らしいのだ。

元々若い頃にレスリングの選手として活躍していたことからその愛称がついたらしい。そうなると、私などは「プラトンの中のプラトン(肩幅広いから)」ということになる。

今まで知らなかった言葉を探す行為の中には、書き手として今まであまり手アカのついてない自分独自の表現やワードを見つけたいという気持ちがベースにある。文章修行時代。『量書狂読』の作者、井家上隆幸先生に師事していた時に、スポーツを書くならこれだけは読んでおきなさいと紹介されたのが、ヨハン・ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(遊戯人)という本。

東京神田本の街「神保町」で丸一日かけて探した本だ。スポーツはもともと遊びから始まっている、という切り口の哲学書である。これまでスポーツ関連の記事や書物を読んできたがこれに類する表現はあまり使われていないはず。

これまでに書かれたスポーツに関する文章にはなかった、文体や表現、手アカのついていないワードをクリエイターの自分なら見つけていけるのではないかと期待している。

スポーツにおいて自分の中で一番の関心事が陸上男子100mである。近い将来に必ず実現する、男子100mの日本人ファイナリストが競技上を疾駆する場面を。その時、静寂の中でスタートの号砲が競技場に高らかに響くだろう。期待と興奮が入り交じった状態で、スポーツの書き手として見つめる私がその瞬間を目撃することになる。特別な一日は、今日のようなただ普通の1日を和紙のように何枚も重ねた先に訪れるものかもしれない。