以前友人に頼まれて、和太鼓グループ『海燕』のチラシを作ったことがあったが会場で見るのは始めてだった。

15年以上やり続けている友人は中心的存在で、舞台の上で躍動していた。

ひいきめなしで素晴らしいものだったと思う。

私にとっての友人Sは、学校を卒業してからは親が営んでいる会社に勤めながらバンド活動や演劇・和太鼓など好きなことを自由にやっている印象だった。

うがった見方をすると、仕事や生活の苦労もなく「夢ややりがい」などと言ったものにうつつを抜かすお気楽なお遊び程度でやっているんだろうと10数年間思い続けてきた。

和太鼓の歴史は古く、縄文時代から意志の疎通の為に使用されていたらしい。また、人間の心臓の鼓動に太鼓の鼓動が「シンクロ」することによって自らを鼓舞する性質があるという説もあり、戦における太鼓の使用はこの説に従えば有効な活用法であったと言える。

�蒲郡へ向かう前に、ゴルゴ松本の『命の授業』をYou-Tubeで見た。

その中の命という字の説明では、命という字は、心臓のひと叩きということらしい。ドクンとひと叩き。命というのは心臓の鼓動のことなのだと。

ドンドンドンドン、ドドドドドドッ。ドンドンドンドン、ドドドドドドッ。

太鼓の鼓動が身体に響き、会場全体がその音と響きにシンクロしていく。束の間、会場中の人達の命を揺らしていく。

30代後半になっても10代や20代の人に負けない運動量とパフォーマンスだった。それは長い時間研鑽してきた賜物に思えた。人に感動を与えることができる彼を見て単純にすごいと思う自分がいた。

※彼に触発されて、ウエイトトレーニングを初めている。

ライブ会場での双方向の交流(インタラクション)が、続けるということの価値と共に改めて考えさせられた。