イチロー記念館「I-fain」へ

夏休みを利用して、愛知県春日井市にある、イチロー記念館と空港バッティングセンター(イチローと稲葉選手が通ったところ)に行って来ました。イチロー選手がメジャーリーグ通算3,000本安打を達成したこともあり、野球関係者のみならず地元民の間でも盛り上がっています。連日「夢」にまつわるネタを探していますが、こんなビッグなネタがあったことを忘れていました。

記念館

イチロー記念館「I-fain」  btr.co.jp

ユメナビ編集長は、愛知県民であり野球人でもありました。ちなみに野球人の厳密な規定はありませんので、野球の好きな人から学生野球に打ち込んだ人、少年野球のコーチ、プロ野球選手やメジャーリーガーまでが野球人に含まれます。さて、私は先ほど愛知県民と書きましたが、高校野球球児でもありました。

イチロー選手がまだ鈴木一郎だった頃、同世代のスター選手としてすでに有名な選手でした。筆者はいまだに後悔していることがありますが、高校のチームメイトがイチロー選手と愛工大名電のキャプテン深谷あつしさんと3人で会う機会があり、無理を言ってでもその時に便乗させてもらえていたらと考えないでもありません。同級生は深谷あつしさんと幼なじみということでした。

後に大きな夢を叶えるスター選手がまさか自分の身近にいるということが信じられないくらいに、イチロー選手はまだその才能に見合う場所と時期にきていないという状況でした。

 

イチロー記念館「I-fain」には、少年時代から現在に至るまでのイチローのコレクションが所狭しと並んでいます。展示品は、イチローの使っていたグラブやスパイクやバット、これまで受賞した盾や賞状、ポスターなどが並んでいました。特に面白かったのが、イチローの少年時代を展示したコーナーで、キン肉マン消しゴムやキャプテン、ファミリーコンピューターなど同世代の私と同じものに関心があって遊んでいたことが分かりました。

イチロー記念館を訪れて感じたことは、野球少年だった鈴木一郎からメジャーリーガーイチローになるまでの野球道という道が数珠つなぎになっていて、それを30年以上続けてきたという重さでした。30年間彼を動かし続ける夢というモチベーションがものすごく重層的に迫ってきました。

 

イチロー

 

いつまでも夢中でいる人

イチロー選手にとっての夢への道のりは小学校3年生から始まり、10球20球とか1週間2週間がんばったとか、もちろんそんなレベルじゃなくて、10年とか20年とかいうスパンで努力を続けている。「夢中」という言葉があります。文字通り夢の中にいるような状態。熱中すると時を忘れるくらいの時間を過ごすことがあります。イチローは夢を叶えたヒトだと言えます。そして現在も次の夢を目指す人だとも言えます。

筆者は改めて思いました。野球に打ち込んでいる間は小学生の時の熱中感と変わらないのではないか?だからいくつになっても球を打ち、野球のボールを追いかけているその瞬間は夢中になっているのではないだろうか、と。そう、イチローだっていまだに夢の中にいるのだ。夢を追いかける人も強いが、それよりも夢の中にいる人の方が強い気がしている。

是非、50歳になってもベースボール・ドリームを追いかける野球人でいて欲しいと思います。

 

最後に鈴木一郎 小学校6年時の作文』を引用します。

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僕の夢は、一流のプロ野球選手になることです。そのためには、中学、高校と全国大会に出て、活躍しなければなりません。活躍できるようになるためには、練習が必要です。僕は3才の時から練習を始めています。3才から7才までは半年くらいやっていましたが、3年生の時から今までは、365日中、360日は激しい練習をやっています。だから、1週間中で友達と遊べる時間は、5~6時間です。そんなに練習をやっているのだから、必ずプロ野球の選手になれると思います。


そして、中学、高校と活躍して、高校を卒業してからプロに入団するつもりです。そして、その球団は、中日ドラゴンズか西武ライオンズです。ドラフト入団で、契約金は1億円以上が目標です。僕が自信のあるのは、投手か打撃です。去年の夏、僕たちは全国大会に行きました。そして、ほとんどの投手を見てきましたが、自分が大会NO1選手と確信でき、打撃では、県大会4試合のうち、ホームラン3本を打ちました。そして、全体を通した打率は583厘でした。このように、自分でも納得のいく成績でした。


そして、僕たちは、1年間負け知らずで野球ができました。だから、この調子でこれからも頑張ります。そして、僕が一流の選手なって試合に出られるようになったら、 お世話になった人に招待券を配って、応援してもらうのも夢の一つです。とにかく、一番大きな夢は、プロ野球の選手になることです。

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大きな夢を叶えたイチロー選手の小学校6年生時の夢はとても具体的だったのが印象的でした。

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 空港バッティングセンター(イチローと稲葉選手が通ったところ)で著者も学生時代を思い出して、バッティングして来ました。もはや野球少年の面影無く、振りも鈍かったのですが、この場所からイチロー選手・稲葉選手の夢が始まったことを考えると感慨深いものがありました。

そして、今でも野球少年達がかつてのイチロー選手と同じ用に熱心に明日の夢に向かって一生懸命・夢中になってバットを振っていました。

その想いを持ち続けられたら、あるいは……と思わないでもありません。

父ロー

イチロー記念館では、メジャーリーグ通算3000本記念として、鈴木家のカレーとバット型ボールペンを頂きました。

チチローさんイチローさん、あとんす。