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「名作映画で夢語り」

第二便『セントオブウーマン/夢の香り』

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こんにちは!ユメ・ナビゲーターの稲石です。

自らが厳しい道のりを這い上がって夢の階段を登っている過程で、夢について盲目的にいいものだと崇拝するのではなく、夢にはリスクもあるよというスタンスで、夢を目指す人達を励ますブログにしたくて始めました。

このブログにおいても「仮説~検証~再実行」の日々です。

前回の記事はあまりPV数が良くなかったことを踏まえて、もう少し地文を増やしたり、視点を変えたりと変化を加えたいと思います。

セント・オブ・ウーマンは1992年に製作され、盲目の元軍人を演じたアルパチーノがアカデミー賞を受賞したことでも有名な作品です。監督はマーティン・ブレスト、青春期の岐路の悩みや老いに対する態度、そして誇り・高潔さというものの大切が良く描けていました。

余談ですが、黒烏龍茶のCMに出ている、ミランダカーを見てガブリエル・アンウォーを思い出したのは私だけでしょうか?この作品では、アルパチーノ(スレード中佐)とタンゴを踊るガブリエル・アンウォーがとても魅力的に描かれていました。

また、副題で夢の香りとあるように、盲目の中佐が主人公ということもあり、香りに触れる場面が多いです。女性好きのスレード中佐は女性の素晴らしさを滔々と語るが、美しい女性と親密に過ごす時間がこれほど人生を豊かにし、そして甘美を与えてくれることを改めて気付かせてくれました。

そして別視点で面白かったのが作中で、

ASAP (as soon as possible) 

とアルパチーノ演じるスレード中佐がチャーリーに怒鳴っています。ぐずぐずするな、と。調べてみると、電子メールで「至急」「早急に」として使用するみたいです。

ピコ太郎さんの、PPAPPen-Pineapple-Apple-Pen)みたいだと思いました(笑)

創作の途中、頭の片隅にこのような略語があったのかも知れませんね!

またも余談ですが、

作中で主人公チャーリーと違う道へ進む、立派な父親の懐に逃げ込んだ姑息な友人役を演じた、フィリップ・シーモア・ホフマンは、映画『カポーティ』でアカデミー主演俳優賞を受賞した後、46歳という短い人生を終えています。この作品でも、アメリカ人らしい身振り手振りや豊かな表情で感情表現を演じていました。改めて見ても、彼の憎らしい演技が作品の質を高めたことは言うまでもありません。

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【物語のあらすじ】

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アルパチーノ演じる元米国軍人で、盲人のスレード中佐とボストンの有名高校に給費制として通う貧しくも心優しく優秀な青年リチャードとのひと時の旅路で心を通わせるヒューマンドラマです。裕福な家庭出身の同級生達との関係にも齟齬を感じつつも、なんとか日々を過ごしていると感謝祭の前日に、ハバマイヤー含む級友数人が理事会からもらった校長の車にイタズラをする場面に遭遇してしまいます。

前日の夜にそのイタズラの仕込みは行われており、運悪くイタズラ仲間の一人ジョージとチャーリーが一緒に学校を出る時に、第一発見者として教師の一人に目撃されます。次の日校長に呼びだされ詰問されますが、当然犯人を密告することもできずに、休み明けの諮問委員会で決着がつけられることとなりました。

物語は、裕福な家庭育ちのジョージと貧しい田舎出身のチャーリーの対比で進み、校長という権力者と仲間を売るという取引をすればハーバード大学行きが確約されますが、それを断れば退学処分となり希望に満ちた未来や高潔な魂が失われてしまうという帰路に立たされることになります。

チャーリーは故郷オレゴンに帰る旅費を稼ぐために、数日間スレード中佐のお世話をするバイトを始めます。その際にスレード中佐は【ある計画】を企んでおり、その側近としてチャーリーは最適な人物だと感じました。スレード中佐の【ある計画】とは、目を負傷してから人生を悲観し、孤独に生きるしかない自分の人生を終わらせる為に、これまで溜め込んだ退役軍人年金を使って、ニューヨークへ豪華な旅をすることです。豪華な食事や美しい女性との逢瀬、ラウンジでの美女とのタンゴ、スーツの仕立てなどで豪遊しているスレード中佐の人間的な魅力とその裏にある孤独に、チャーリーは徐々に信頼と友情を育んでいくことになります。

旅の終わりに近づき、最後の夜が明けるとスレード中佐は人生の終焉のように、急激にくたびれ、投げやりになりますが、チャーリーは必死にスレード中佐の自殺を引き止め、思いとどまらせます。悩みを抱える孤独な二人は心を通わせる実感を得て、現実の世界に戻ることになります。

物語の終盤には、休み明けのチャーリーの試練が待っています。公開懲戒委員会で全校生徒の前で校長の諮問を受け、窮地に立たされることになります。

そこに、ニューヨークからリムジンで一緒に帰ってきた際に学校の前で別れたスレード中佐がドライバーに先導されて登場し、チャーリーの保護者として校長と対峙します。

物語を通じて、スレード中佐は弁舌に優れ、短い旅の間も巧みな交渉術で自分の思うように誘導したり、トラブルを回避したりして、したたかに生き抜く術を駆使して生きることをチャーリーに教えているような感じもしました。

スレード中佐ことアルパチーノは、盲目の元軍人をリアルかつ壮絶に演じていて、細かい所作にまで神経が行き届き、感情の起伏も感じることができて、一流のエンターティナーとして見る価値のあるハリウッドを代表する俳優でした。

スレード中佐の大演説は、会場の空気を一変させ、失われつつある規律や高潔さ、志や魂というものをもう一度取り戻し、我々大人のずる賢いルールに未来ある若者を染まらせずに、まっすぐに育つように導くことも大切だということを伝えます。

その演説は、校長以外の人の胸を打ち見事チャールズはこの事案から無罪放免、解放されました。満場の拍手の中、チャーリーと共に会場を後にする中佐は、再び人生に対して希望を見出し、再生への道を歩みます。

そして、チャーリーもスレード中佐との短い交流の間に芽生えた、年配者との友情や、世の中はいうほど悪くない、という新たな希望を持って日常に戻っていくことになります。

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【この映画が教えてくれること】

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若者の夢と困難な人生の岐路、そして年配者の人生への再生について教えてくれます。

簡単に叶えられてしまうことを人は夢見ません。大きな夢を願う時、人は往々にして貧しい境遇から抜け出すために夢を持ち、それを心の支えとして勉強や日々の仕事、夢への努力を頑張るのです。

この映画の「若者の夢には高潔さが必要である」というメッセージの中には、どんな手を使ってでも自分の利益のために、ズル賢く振る舞い、友人や他人を蹴落とすような卑劣な人間は例え富を築いたとしてもリーダーとしての資質には欠けるという意味が込められており、国を背負う人材を輩出する有名高校の創学の清廉な魂を汚すことになります。

いずれ社会に出るようになれば、厳しさに揉まれ、競争に振り回され、なりふり構わず勝ちに行く場面もあると思いますが、せめて夢を追うリーダーには高い志と高潔さを持ち続けてもらいたいという学校機関の理想や理念が感じられます。

「夢は素晴らしいものだが、同時に冷めやすく人生の浪費と化してしまう側面もある」と私は思います。未来ある若者の夢を守り、応援することも夢という題材には必要な視点です。

この作品のように、若者らしい「魂」や「高潔さ」を持ち続けて欲しいと思います。

そして我々大人が、そういう若者が安心して育つような教育機関や社会を作っていかないといけませんね。