陽の当たる場所を目指して走った10年〜夢見る力をもっと

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誰にだって忘れられない一日がある。

その日を境に自分の人生が好転していくように思えた日のことだ。

その日のことは良く覚えている。

昼過ぎぐらいに私の携帯が鳴った。3歳年の離れた兄からの突然の電話だった。

「出張で東京に来ている。夕方新宿に来れるか?」というぶっきらぼうな言い方だった。

その頃の兄はいつも何かにいらだっているように感じられた。私がいつまでもくすぶっていて、不甲斐ない弟だからだと思っていた。

あてのない夢へと走り出した人間は、孤独に苦しい道のりを走る一人のランナーのようなもの━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今から9年程前のことになる。その頃の私は、居酒屋でアルバイトをしながらグラフィックデザイナーを目指していた。東京に出てくすぶり続けて10年近くが経っていた。日夜居酒屋などの飲食店でバイトをしながら、デザイナーになって成功するという夢を描いていた。

新卒でない限り、実務経験が求められる職種だったため、30歳を過ぎて未経験だと当然就職することは難しかった。バイト先の居酒屋でビールジョッキを10個持てる様になっても、いつまで経っても夢の切符は手に入らなかった。

休みの日は、ポートフォリオ用の作品づくりと応募企業の検索、そして応募書類のブラッシュアップを繰り返した。たまたま面接のアポが取れればまず面接会場の下見に行き、せっかくのチャンスを逃さないように必死だった。

周りにいるその職場に流れついたアラサーの連中は、どこか諦めムードでこのまま飲食関係を続けるより他ないよねという感じで、それが殊更悪い訳ではないし、モラトリアムでくすぶる同士のような共感を持つと同時に、「でも俺だけは違う。俺だけは特別なんだ・・・特別なはず、なんだ・・」というような思いを抱えていた。

ぬるま湯に浸かっているような、やるせない日々の中で、毎日がとにかく苦しかった。夢を持って都会に出て来たのなら何かしらの成果を挙げてからでないと帰れない、そんな事を考えていた。バイトに明け暮れる日々は続いた。

年下の店長にこき使われたり、20歳前の女子学生には上から目線で見られたり、20歳前の車の整備関連の専門学校に通うバイトリーダーは私にだけ休憩時間に細かかったし、事あるごとにやりだまに挙げられる有様だった。

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そういう状況下でも叶えたい夢はあった。

しかし、深いところで信じ切れない自分がいた。現実はドラマや映画のようにハッピーエンドになる確証はない。もしこのままずっと這い上がれなかったとしたら、自分の人生はひどくみじめなものになっていく気がした。自分の学生時代は野球や生徒会活動に励み、小さなコミュニティの中では目立った存在で、自分はこの先も陽の当たる場所で幸せな人生を歩むものだと思っていた。(いつからこんな風に引き返せない泥沼に入りこんでしまったのか。やり直したい。)毎日、毎日、あの時こうしていればという想念を、マントラのように、心の平穏を保つように考え続けた。

ある意味では、不遇の現実を受け入れられずに、つかの間の現実逃避でバランスを取っていたのかもしれない。(本当の俺はこうじゃない。本当の俺は違う。)そう思い込むほどに現実が厳しすぎた。それでもなお、自分を見放さず、暗いトンネルの先にある出口の僅かな光を見逃さなかったのは、その時周りにいた大手居酒屋チェーン店で出会った気のいい仲間だった。

その彼らもまだ、学生だったり、フリーターだったりして、でも彼らの方が遥かに未来が明るくて眩しくもあったが、その眩しさが自分の眼の前を照らしてくれていたのかもしれない。

元々その居酒屋チェーン店では、過去に店長をしていたことがあり、本当はその経験を黙ってアルバイトとして働き、(その経験がバレると、何人もの上司や営業幹部に社員になることを勧誘されるから)就職活動に響かないように自分を守っていたようなところがあった。バイトとはいえ、仕事は社員並みにできる。その仕事ぶりを見て、仲間達はそれなりに自分という人間を尊重してくれたように思う。その仲間達の存在が微かに残る自尊心を保ってくれていたのだと思う。まあ、仲間といっても本当に自分の言うことを信じてくれていたのは、2,3人ぐらいのものだと思う。当然のことだと思う。

その中でも、高校教師を目指す者、30歳間際になって司法書士を目指す者達は、好意的に話を聞いてくれた。30歳の男は同じようなくすぶり加減で、彼といると気兼ねがなく安心できた。お互いの状況を鑑みると、どちらも厳しい現実に直面していて、目の前に立ちはだかる壁は高く分厚く、その壁を突き破れるイメージが湧いてこなかった。苦い思いを抱える者同士で、苦いビールを流し込んだのを思い出す。「お前が司法書士になって、独立したら俺が名刺を作ってやるよ!」実現するかどうかも分からない約束をすることで、夢物語を語ることで、救われる現実もあることを知った。

いつか、本当にそんな世界が訪れたら、訪れるようなことがあったのなら、自分達は陽の当たる場所を歩いていることになる。

その地点から後ろを振り返った時、陽の当たる道と日陰の道の分岐点が見えるはずだった。その分岐点は私が31歳の時で、陽の当たる道へ一歩踏み出せたのは、もはや私一人の努力や能力を遥かに超えた何かとしか言いようがなく、周りの人達との関係性や運の巡り合わせのようなものとしか思えない。それぐらい、今の地点から振り返ると危うい道をすり抜けてきたという実感が苦い思いと共に去来してくる。

そして、もしその友人と再び会うことがあったら、その時はお互い幸せな人生を送っていることになる。その友人と会った時、底を這っていた自分達の在りし日の姿が透けて見えるかもしれない。そしてその10年越しの再会は、自分達が現実に負けなかったことを証明する儀式となる。

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少し遅れて、新宿アルタ前に着いた。兄はすでに仏頂面で待っていた。遠目でもイライラしているのが分かった。

「おぅ、おせえぞ」

「ごめん、ごめん」

「時間ないから行くぞ」と新宿ゴールデン街のほうに歩みを進めた。

30分ほどの時間しかなかったらしい。すぐに別の場所に異動しなければならないらしかった。

(一体何を伝えに来たのか?)

目についた店に入る。すぐにもつ煮込みと焼き鳥と瓶ビールを頼んだ。

コップにビールを注ぎ合って、乾杯をした。

「で、就職はどうだ?」

「面接にはちょくちょくいけるようになったんだけど……」

少し間を開けて、

「ちょっと自己PRと志望動機やってみろ」

「え、、ここで、、」

即席の模擬面接が始まった。改めて言うと、そこはゴールデン街で酒を飲むところだ。

その時点での私の年齢31歳。年齢的には良い大人だったが、その先の人生に希望は無く仄暗かった。

「御社の志望動機は……」

「駄目だ!!」腕を組み厳しい目線で言った。

「どこが?」

「全然伝わってくるものがない。むしろこれまでのキャリアが統一感がなく、薄っぺらい人間に感じる。逆効果だ。」

「ぐっ……。じゃあどうすれば…」

腕を組みながら、目線をそらさずに兄は言った。

その時の言葉は、乾き切った身体に水分が染み渡るようにじんわりと自分の身体に伝わっていって、一生忘れられない言葉となった。

「お前の人生を語れ。これまで色々道に迷ったけど、一生懸命やっただろ。それは無駄じゃないし何もして来なかった訳じゃない。人に負けないくらい努力しただろ。それを相手が分かるように、ストーリーにして伝えろ。種類は違っても目標や向かっていく方向は同じで、キャリアとしての統一感があることを面接官にアピールしろ。やりたいことに対する熱い想いを伝えろ。つたなくてもいいから。」

力強く背中を押された気がした。東京でずっと1人で戦ってきて、何度も諦めかけたし、ひどい目にも合った。

苦しくて死んでしまおうかと思った時もある。

社会で成功する、尊敬する兄からの言葉が誰の言葉にも増して迫ってきた。その日から、生まれ変わった様に面接に挑むことができた。

それからは厳しい質問をされても、少しもひるむことはなかった。背筋を伸ばし、胸を張り、堂々と自分のこれまでの人生とこれから進みたい道について話す事ができた。

兄のおかげだった。

小さい頃、いつも兄の背中に付いて回っていた光景が不意に去来した。年上の兄の友人たちに遊んでもらって、「兄ちゃん」「兄ちゃん」とつきまとっていた幼い頃の自分の姿が。

もう一度自分の人生を信じてみよう、そう思った。

そして、もう1回新たな気持ちで挑戦してみよう、とも。

程なく、採用の連絡が入った。それも2社同時に。不思議なものだ。気持ちが入っているのと、入っていないのとでは結果がこうも変わるとは。

グラフィックデザイナーとして歩み始めてから、それ以降の仕事は苛烈を極めた。兄のアドバイスはこういうものだった。

「ようやくスタートラインに立てただけだ。32歳、ここから仕事は人の3倍やれ。それを3年でも続けたら一応仕事はできるようになるだろ」と。

それを守って仕事を始めたころ、プレゼントが届いた。PAKERのボールペンだった。

同世代より遥かに遅い、就職祝いだった。どんなに辛いことがあっても、自分には兄が付いているという心強さがあった。

そんな気持ちが去りがたくあった。

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今はディレクター、ライター、デザイナーとしてクリエイティブ事業で独立することができた。ある意味では夢が叶ったと言えるかもしれない。目指してきた夢の職業で、飯が食えているのだから。

ただ、夢を見る力が減った気がする。もう満足してしまったのだろうか?

いや、、まだ足りない。まだ何も達成などしていないのだ。

自分の、次の新しい夢を達成するために日々生きている……。

夢を見る力をもっと。あの時の極限の踏ん張りが今のこの道に繋がっている。

 

※グラフィックデザイナーになった自分が、
本にもWebにも載ってない。ここだけの内容。成功するグラフィックデザイナーの心得メソッドを紹介しています。