春の短歌(前編)

前回の記事より、
芭蕉の書いた「閑かさや岩にしみ入蝉の声」という表現作品はまだ生きていて、この世界の最大の王である「時間」は今のところ芭蕉を抹殺できないでいます。
芭蕉が一瞬の心象を十七音にまとめ、それを書きとめることで、時間に一矢むくいたことになります。
そういった時間を超えてくる春の作品に触れて、悠久の時間を超える空想を楽しみたいと思います。

 

そこで春の短歌をピックアップしてみました。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

春雨や 二葉に萌ゆる 茄子種 (松尾芭蕉)
 はるさめや ふたばにもゆる なすびだね
 

茄子の種が発芽してもう双葉になって芽吹いている。その小さな芽に春雨が降り注いで成長を促している。
雨も成長を促す恵みの雨と思ってみる。

 

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こころすなほに 御飯がふいた
(種田山頭火 春の句)


 
これは、旅から戻ってふたたび山頭火が小郡の「其中庵」で暮らし始めたときのものです。山頭火が初めて自分の住処に落ち着いたときの素朴な感慨が表れている句だと思います。
始めて自分で御飯を炊き、失敗を繰り返しながらも常人なら、単に「炊くのが上手になった」と思うだけなのでしょうが、そこで山頭火は思うのです。
こころが素直になったからうまくたけたのだ、と。
また山頭火は思います。
『御飯というものは、釜の底が少し焦げ付くまで、しっかり炊きあげた場合が、一番うまいことも知った。つまり、或る部分を犠牲にして、はじめて全体が生きてくるのである。』
(『俳人山頭火の生涯』 大山澄太 弥生書房 より)飯炊き一つからも謙虚に人生を学ぶ山頭火。渋い名句です。

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穏やかな季節の春には、単純に美しい正岡子規の句が合います。

 島々に 灯をともしけり 春の海  (正岡子規)

(おぼろにかすむ春の海に夕闇が迫り、沖の島陰もなくなり、やがて見えなくなろうとするとき、島々でともす灯火が見え、それが波に揺れていっそう美しい)という意味です。

 

今回掲載した春の作品に触れて、悠久の時間を超える空想を楽しみたいと思います。
春はとかく華やかで情緒的な感じがします。植物や草花も一斉に開花し、何か始まりそうな季節感を
感じさせてくれます。こんな気分のいい季節には、綺麗な空気を吸って、ゆっくり散歩したくなりますね。
(後編)に続きます。