書くことの意味とは?人にとっての言葉とは?

「わたしたちの読書行為の底には「過去とつながりたい」という願いがある。そして文章を綴ろうとするときには「未来へつながりたい」という想いがあるのである。」と『自家製 文章読本』で井上ひさし先生は書いた。
そして「ヒトは言葉を書きつけることで、この宇宙での最大の王「時間」と対抗してきた。」とも。

 

ここで私の事業である「トキガラデザイン」とは、3つの視点をもって運営されています。

1.時間をマネジメントすること。

2.移り変わるその時々に最適な提案をすること。

3.優れたクリエイティブで過去と未来を還流すること。

 

その中の3.についての理屈は下記の中から読み取ることができる。
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我々は常に文章を伝統によって学ぶからである。
人は好んで才能を云々したがるけれど、個人の才能とは実のところ伝統を学ぶ学び方の才能にほかならない。
ヒトが言語を獲得した瞬間にはじまり、過去から現在を経て未来へと繋がって行く途方もなく長い連鎖こそ伝統であり、わたしたちはそのうちの一環である。ひとつひとつの言葉の由緒をたずねて吟味し、名文をよく読み、
それらの言葉の絶妙な組合せ法や美しい音の響き具合を会得し、その上でなんとかましな文章を綴ろうと努力するとき、わたしたちは奇跡を起こすことができるかもしれない。その奇跡こそは新たな名文である。新たな名文は古典の中に迎えられ、次代へと引きつがれてゆくだろう。すなわち、いま、よい文章を綴る作業は、過去と未来をしっかりと結び合わせる死後tにほかならない。もっといえば文章を綴ることで、わたしたちは歴史に参加するのである、と。
たしかにヒトは言葉を書きつけることで、この宇宙での最大の王「時間」と対抗してきた。芭蕉は五十年で時間に殺されたが、しかしたとえば、周囲がやかましいほお静けさやいやますという一瞬の心象を十七音にまとめ、それを書きとめることで、時間に一矢むくいた。
「閑かさや岩にしみ入蝉の声」はまだ生きている。時間は今のところ芭蕉を抹殺できないでいるのだ。芭蕉はほんの一例であって、文学史は、というよりこれまでにヒトが書き記したものすべて、すなわちヒトの記憶一切はみな同じ構造をもっていると思われる。
書庫から鴎外漱石露伴を取り出し彼等の文章にふれるとき、わたしたちはこの三大家が文章に姿をかえてちゃんと生きていることを確認する。その瞬間に時間は折り畳まれ、ヒトの膝下にひざまずくのである。せいぜい生きても七、八十年の、ちっぽけな生物ヒトが永遠でありたいと祈願して創り出したものが、言語であり、その言語を整理して書き残したものが文章であった。わたしたちの読書行為の底には「過去とつながりたい」という願いがある。そして文章を綴ろうとするときには「未来へつながりたい」という想いがあるのである。

ーーーー井上ひさし『自家製 文章読本』より引用