かつて、少年時代に牛乳配達をして家計の足しにしていたという父の言葉を思い出した。

4cf10ed14d61eff39cd9e69410430311_s

勉強が出来たらしい父には、付属の中学校に進学し、

勉学や学歴を土台とした、明るい未来が用意されているはずだった。

祖父の仕事の関係で、父はその道を諦めたらしい。

父は学校を卒業した後、建設会社に就職し、現場監督を数年経験したあと、

広告営業に転職し、生業としていた。団塊の世代である父は、高度経済成長を経て

バブル経済を経て、バブル崩壊のあおりを受け、その後広告業界を去って行った。

私の価値基準で言うと、

一つ、競争の激しい同じ業界に居続けられることは一つの達成である

一つ、その厳しい業界の中で事業を継続できることは一つの成功である

一つ、その中でも存在感を増し目立つ活躍と実績を残せたら大成功である と言える。

 

父は出張も多く、浜松・静岡・東京などに営業マンとして拡張営業に駆り出されることがあった。

浜松に出張に行った際は必ずと言っていいほど、お土産はうなぎパイだった。

私は最近ご縁があり、静岡や東京方面のお客さんの仕事を請け負っている。

打ち合わせの為に、豊橋を経由して、浜松や静岡に電車で向かう訳だが不思議とその道程は

心晴れやかな気持ちにさせられる。風景がどんどん長閑になっていくというのもあるし、

浜名湖の広大な波間を見て癒されるというのもあるかもしれない。

それ以上に生まれ育った豊橋や父が活動していた浜松という土地に、

不思議な回顧心を覚えているような気がするのだ。

 

こんなエピソードがある。

子供の頃、友達が「僕はお父さんの後を継ぐんだ」と言った。

自営業を営む父親を対象として言っていたに違いない。

その時はその言葉が羨ましかったのだと思う。それらは家業を継ぐとか父親の後を継げる職業には限定があって、

自営業・家業・職人などのいわゆる何かのフォームやフォーマットを持つ仕事のことを言う。

母方の祖父が元は大工の棟梁をしていて、父方の祖父は小さな事業を営んでいたと聞いていたので、

何かそういう後を継ぐ的なことに遺伝子レベルで希求していたような節が僕にはある。

ある時、親戚筋の集まっていた中で、何かの話の流れで「僕はお父さんの後を継ぐんだ」と言ったことがある。

その意味をしっかり分かっていない口ぶりで、そして幾分芝居めいた口調だったと思う。

「そうか~継ぐのか!」と優しい大人が話を合わせてくれた。

もちろん実質は会社員であった父の仕事は、後を継げる類のものではなく、

広告営業という時代の変化に左右される業種でもあり、いわば子供の戯言だった訳だが

それでも父はまんざらでもないような表情だったと思う。

父と少年のその後

「僕はお父さんの後を継ぐんだ」と言った少年時代から20年以上過ぎた頃、

僕は広告を作る仕事に就き、経験を積むと広告制作の営業もやるようになっていた。

父は広告媒体の営業でありながら、簡単な広告デザイン案も色えんぴつで作成していた。

今から思えば、ラフスケッチのようなものだと思う。

僕が今の仕事を選んだ背景には、そんな父の姿が原風景としてあったと規定しても大きなズレはない。

結果的に僕は父の仕事と同じ業種の仕事を生業にするようになったのだ。

仕事の経験を積んでくると、時々父の影がふと立ち現れてくることがある。

無意識的に父が駆使したであろう営業トークや営業スキルがクライアントとの

商談の際に立ち現れてくるのだ。

さらに言えば父の姿が映像として浮かび、乗り移るような感覚を覚えることがある。

気のせいかもしれない。

ただ、時々それを嬉しく感じる時があるのも確かだ。

繋がっていると感じるからだ。

厳密に言えば、父の仕事を継いだわけでもないし、僕は広告制作が本職だから

純粋な営業というよりプロデューサーに近い営業と言える。

父は広告業界に見切りをつけて去って行ったが、

僕はここに根を張り、しっかりと業績や実績を積み、事業を継続していくつもりだ。

父のいた広告業界と今僕のいる広告制作やWeb制作では共通点は少ない。

話をしても分かってもらえないことの方が多い。

しかし、どこかで父は嬉しいのではないかと思っているところがある。

「僕はお父さんの後を継ぐんだ!」と言った少年が時を経て、

父の仕事と近い広告制作をしている。

そこに理屈は存在しない。

父・母・祖父や祖母、そしてさらに遠い先祖に至る連綿と続く過程の中で受け継がれた素養というものが

確かに僕の中にあるのだ。それは理屈ではなく、今の自分を分析すれば、ただ単純に必然だったのだと言える。

97cb696381d26edd5eeced0f98915191_s

最近、ある光景をイメージすることがある。

父と過ごした会話のない釣りの最中、

針糸が何か大きなものを引っ掛けようとしている。

父と子がその何か大きなものを見つめ続ける。

それは、

生き抜く力としての素養(才能)だったのかもしれない。

親が子供に受け渡すこと。一緒に生き抜く力を育てる為に並走すること。

それは人によっては野球の才能かもしれないし、物書きの才能かもしれないし、

人と付き合う才能だったり、

料理の才能や話す才能、勉強の才能かもしれない。

僕と父が見つけた素養(才能)とは、言葉にすれば何のことはない平板だけれど、歳を重ねるごとに実感する、

強い肉体の力をベースとした意志の力とコツコツと努力する姿勢に他ならないのだ。