『夢を掘る人~たった一人の援軍』

私は28歳から遅まきながらデザインの勉強を始め、アシスタントデザイナーとしてスタートした30歳の自分がずっと描いていた姿があります。

いつか地元岡崎に戻り、デザイン会社を立ち上げる。その最初の取り組みとして地域貢献・地域の活性化をデザイナーとしてお手伝いすること。

厳しい道のりでしたがイメージしていた姿にたどり着いたことを確認できました。「いつか岡崎に戻りデザイナーとして地元に貢献し、自分のスキルや知識を求められるような存在になっている」

27045525_2134563203496570_5245059833341673472_n     現在の姿。

『オカザキデザイングッド_2017年~2018年_プロジェクトマネジメント塾』

こちらに詳しい↓

http://rw-d.jp/odg-project-management/

岡崎市が行う事業の一環で「事業者のデザイン活用」を活性化する目的で

運営されています。現在こちらに参加・協力させていただいているんです。

ここからがスタートです。

トキガラデザインは岡崎事務所を拠点として開設し、デザインの力で世の中を豊かにするために

ここから世界に向けて発進します。

ここまでの長い道のり

「何かを成すには、想いの総量で決まる」そんな風に思います。

本気で願い、想い続け、努力と行動を続けた先に自分の望む姿がある。別の言い方をすると望んだ人生を獲得するとも言えます。

おうおう、久しぶりにずいぶん鼻息荒い感じだねっという方に分かるように少し振り返ります。

デザイナーとして遅いスタートを切ったのが30歳の終わりごろで、場所は東京、アシスタントに近い立場でした。専門学校で2年学んだものの、どこにでもいる実力のない何者でもない30歳の男でした。

当然のことながら「仕事なんてまともにできない」「才能ないね」「飲食戻りなよ!」「辞めてくれんかな」「逆に手間だよ」なんて経営者や上司、年下芸大出身の先輩達に言われる訳です。

僕は東京でたった一人でした。その先の困難が待ち受ける人生を思うと空しく寄る辺ない日々が続いたのを覚えています。

でも僕は未来を信じていたんです。学生時代からスポーツに打ち込んでいたおかげで人一倍の体力がありました。そしてイメージトレーニングという技術を身につけてもいました。

ビジュアライゼーション。自分自身の願望や目標を頭の中でイメージすること。イメージトレーニングは20歳頃、新聞販売店で朝3時に新聞を配っている最中も

将来の姿をイメージしていましたが、デザイナーになってからも続けていました。いつか岡崎でデザイナーとして地元に貢献し、自分のスキルや知識を求められるような存在になっている。求められ、地元企業の方たちと問題を解決しながら地域経済を活性化させていく。

そんな姿をずっとイメージしていたんです。

例えばこんな具合に。

「岡崎市の施設の中。たくさんの人が自分の発言に耳を傾ける。表情は真剣だ。私はデザインについて語っている。東京・大阪・京都・名古屋で身につけてきたデザインやディレクション能力は、クライアントの状況を変えるには十分だった。人に求められている。地域に貢献している。プロのデザイナーとして充実した仕事をしている……」

デザイナーの修行時代はこんなことを日夜イメージし続けた。「信じれば叶う」とまでは言えないけど、イメージし続ければその方向に限りなく向かっていくことができる。諦めずにいれば。日々書体トレースを繰り返す。

周りの友人達は誰しもが「無理だね」って言っていた。夏期や冬期休暇の際、地元の同級生なんかと会って飲んだりする。前途は明るくなかった。何にも保証されていなかった。日々デザイン印刷物トレースを繰り返す。

援軍は、「デザインが好きなこと」「自分なら成功するまでやり切ると信じていること」「諦めが悪いこと」

「自分だけは違うと思っていて、自分だけは違うと信じていること」

続けて友人は、

「デザイナーって芸大出たりしないとなれないんじゃない?お前大丈夫か?将来大丈夫か?」

ボディを何度も打ってくる感じ。そう言われると鈍く効いてくる。友人達は地元企業に勤め安定し結婚し子が生まれ、家を建て高い年収を稼いでいた。その時の自分には何にも言える材料はなかった。ただ一言「大丈夫。俺は大丈夫だから。。」

朝、1時間前に出社する。すべてのゴミ箱からゴミをビニール袋にまとめる。下っ端の仕事だ。30歳〜37歳まで7年間続けた。優秀な先輩デザイナーのゴミ箱から出力物を頂く。見習いシェフがお皿のソースを舐めるように。

ゴミ箱からデザインソースを頂く。それをひたすらトレース。なんのことはない、種目がデザインに変わっただけで、野球やってた時となんら変わらない。

少年野球の監督は言った

「人より秀でたかったら人の3倍練習しろ!」

大人になっても変わらない習慣だった。

夢を掘る人 自分で描いたイラスト

BUMP OF CHICKENの『Ever lasting lie』より

砂の海で 錆びたシャベルを持って

まるで闘うように 夢を掘る人

赤く燃える太陽に 身を焼かれても

必死で這い上がろうとする

この歌詞のように、自分はまるで化石を掘るように

夢を掘っていたのかもしれない。いくら時間をかけて掘り進めても、何にも見つからない場合は多々ある。

徒労に終わる。

BAD END……そんな人生も十分に有り得た。

ちっぽけな自分がどうやって夢を掘り当てたか。

「人との出会い」それが大きい。

人生に革新と確信を与えてくれた人は何人もいる。それはいつか書こうとは思う。

そういう人たちとの出会いが、立ち止まってしまいそうな自分を前に進ませてくれた。

夢は醒めない

時は流れ、今はまた新しい夢を掘り進めている。「夢を掘る人」はまだ夢から醒めない。

デザインの師匠が言った言葉を今でも鮮明に覚えている。

「デザインって人間にとってどんなもの?」

「うーん。内容を整理してビジュアル化、ですかね。。」

「間違いじゃないけど、それは部分的」

「デザインはね……」

「……」

「デザインは人を幸せにするものだよ」

「。。。。。!!!」

デザインは人を幸せにするもの。

デザイナーはどんなに苦しんでも陰湿な感情に支配されても

明日の陽光を全身で信じながら颯爽と生きる。

「デザインは人を幸せにするもの」その夢から未だ醒めない。

なぜならそれをトキガラデザインの「企業理念」にしているから。

先達から受け取ったバトンを次の人たちに届ける。

デザインの力を信じながら、この先も夢を掘り続ける。

時代は変化しても、自分の足元を掘り続ければ、いつかたどりつけるんじゃないかと思う。

なんだかこのオカザキデザイングッド/プロジェクトマネジメント塾で、充電できた気がする。

F1のピットインでメンテナンスをして燃料を満タンに入れたかのように。

クリエイティブ・ユニット トキガラデザイン

http://www.tokigara-design.com/