「言葉を集めてここまで来た」
言葉を集めてここまで来た。
※写真は現在の仕事道具、ずいぶんシンプルに。
「言葉集め」とは、
19歳からずっと続けている趣味だ。
言葉は、人間形成をしていく過程で獲得していくもので、話したり、聞いたり、書いたり、読んだりするものであって、基本的に「集めるものではない」。
それが、言葉を並べると文章になり、文章が集まると1章になり章が集まると文芸作品になる。僕が始めた言葉集めは、19歳で幼児期からの夢を失った時に始めた暇つぶしのようでいて儀式めいたものであったと言える。
その頃までの夢は、野球を続けることで自分の人生を考えることを放棄していたようなきらいがある。人一倍体力があることで、体力にひきづられていたと言えるかもしれない。19歳でその体力に頼った人生設計が崩れ、他に何か生きる術として持つ必要性に迫られたからと言えるかもしれない。
アルバイトをして、その余った時間で本を読んだ。最初に小説のセリフをメモしたのは『マディソン郡の橋』でのロバート・キンケイドの言葉だった。その時の心理としては、何か記しておかないと足元がおぼついてどうしようもなかったからかもしれない。本を読んで何になるのか、感動した心はどこに行くのか、そして夢を無くした僕は一体どこに向かっていけばいいのか?
そんな気持ちがノートに気に入ったセリフを書き込むことに繋がっていったのかもしれない。
作中主人公、カメラマンのロバート・キンケイドが言ったこんなセリフ
「分析は全体を台無しにする場合がある。ある種のものは、魔術的なものは全体として見なければならない。個々の断片を見ればそれは消えてしまう。」と。
その言葉は、いかにもカメラマン的な感覚を言葉にしていた。その頃ははっきりと意味は分からなかったものの、なんだかそうだよな、と思える説得力があった。
ノートに小説の中のセリフや映画の中のセリフを書き続けることを「言葉集め」と名付けた。何かの作品を見て、その中で気にいった言葉や感動したセリフを改めてノートに記していくことが楽しくなってきた。元来コツコツと何かを積みかさねることが好きな性分だったから、言葉集めノートに書くために、本や映画を見るようになった。その言葉集めという趣味が続いて、いつの間にかそこから自分の夢が生まれていった。そこから夢が生まれ、目標を定めて追いかけ、仕事になった。
今振り返れば、夢を失った僕は、
言葉をノートに書きつけることで、新たな夢を獲得していったのかもしれない。
ノートは数十冊になり、手帳やPCにも繁殖し続けた。読む本だって当たり前のように増え、5,000冊を超えるほどになった。
※写真のように
言葉を集めることで、夢に近づいて行った。
そう、言葉を集めてここまで来たのだ。
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