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「負けるな、、」その言葉がいつまでも胸に響く

1999年1月号ミスターマガジンが手元にある。この雑誌を買ったのは今からちょうど18年前になる。
どうしてそれを取っていたかといえば、長い間捨てられない大事な漫画が掲載されていたからだった。
その漫画も今から思えば不憫に思えてくる。それだけ思い入れのある漫画だから、人の胸を打つような、
心の琴線に触れてくるような、素晴らしい漫画のはずなのだ。
それが、単行本になったのは第53話までで第6巻完結になっている。
本当はこの時の雑誌で連載されていた第67話まであるはずなのに、大人の事情で
単行本の第7巻は出ずじまいだった。だから、この雑誌を捨てることができなかったのだ。
その漫画は『Dr.ハーレー』作者 宇田学
漫画表紙
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あらすじ
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主人公ハレヤマは医者で、移動手段はいつもハーレーダビッドソンというバイクに乗っている
型破りな設定になっている。ハレヤマの父は日本を代表する病院の院長であり、ハレヤマは
その後を継ぐべく必然的に医者へのレールが敷かれていた。
しかし、プロレスラーのような体格を持つハレヤマは、父親に逆らいケンカが絶えない大学生活を
送っていた。もともと勉強もできたので、医学部での生活を本当に退屈に感じていた。
そんな時に、のちに親友となる20代後半の小津という男と出会う。
おっさんというあだ名の小津は、元々ミュージシャンを目指して上京したものの
鳴かず飛ばずで、目的を見失った頃に海外青年協力隊に応募し、作中では架空の紛争地モスコという場所へ
道路建設などのために海外へ飛ぶことになる。
目的なく海外に行った小津は、何かしらで人の役に立てることに喜びを見出しつつあったが、
その土地で出会った無邪気な子供たちと仲良くなり、荷物の中にあったブルースハープで楽しませたりしていた。
そのうち小津に会いに来る子供が減ってきた時に、マラリアにかかって死んでいった子供たちがいることを知る。小津は、この土地には音楽ではなく、医療が必要だと気づく。
それから小津は日本に帰り、バイトを見つけ、25歳から予備校に通って医学部合格を目指した。
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その後2浪し、苦労の末医学部に合格し医者を目指し始める。
元々金のない上に、医学部でさらに金がかかるので、ボンボン育ちの医学生の車を洗車したりして
小銭を稼いだ。「奴らの靴を舐めてでも絶対に俺は医者になる」強い口調で小津は言った。
ボンボン育ちで目標のないハレヤマは、明確な目標を持つ小津に惹かれていく。
小津は最終的に、ハレヤマと一緒に国家試験に通り、医者としての道を歩き出す。
しかし、製薬会社の陰謀に巻き込まれ、通勤電車に突き飛ばされて命を落としてしまう。
最初に戻るが、1999年のミスターマガジンに掲載されていた話は、小津が国家試験に合格して
ハレヤマと共に新宿の飲み屋街に繰り出し、モスコから帰ってきて予備校に通っていた頃の
思い出が描かれていた。

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その頃俺は、スポーツトレーニングコーチになるための体育大学受験を目指し
予備校通いをしていた。年齢は23歳になっていた。その漫画が連載されている雑誌を
コンビニで見て、しばらくそこから離れらなれなくなった。あまりにその時の自分と状況が似ていて、
その共感を引き出す作品の言葉一つ一つと表現力に引き込まれたのだ。

「大学に入れなきゃ夢は叶わない。模試の結果は俺に言う。「お前は問題外だ」と」

それから18年経った今の俺は、その時とは違う夢を目指し、
クリエイティブ・ディレクターとして独立することができた。
この状況は当たり前ではない。もしうまくいかなかったら、目的もなく敗北感を抱えて惨めな人生を送っていたはずだ。本当に危ない所をすり抜けてきたという実感がある。

こんなことを書けば、「そんなものはお前の干渉、自己満足だ。俺たちだって厳しい競争を乗り越えてきた。」

そう言う奴もいるだろう。
それらはあくまで、学生時代からそれなりにいいスタートを切った奴らの言い分だ。
俺にとっては、マイナスから自分の力で這い上がってきたからそう言える。本当のことだ。
大学を出て、そのまま社会人になり大きなうねりもなくキャリアを重ねてきたクリエイティブ業の人間とは
今見える景色の色や得られる達成感やありがたみが全然違う。

後編に続く→ http://dream-navi.com/2017/03/07/俺は本当にやれるのか。俺は本当に・・・(後編/ ‎